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新原・奴山古墳群を世界遺産に!

最終更新日:2016年4月7日

  福津市北部の勝浦・奴山に所在する新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群。平成28年1月27日、日本政府は新原・奴山古墳群を含む「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界文化遺産推薦書を、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に提出しました。
  今後は関係者とよりいっそうの連携を図りながら、平成29年夏の登録に向けて取り組んでいきます。


  刊行物一覧


  宗像・沖ノ島と関連遺産群  神宿る島沖ノ島(動画) クリックすると動画が起動します


世界遺産とは

  世界遺産条約に基づきユネスコの世界遺産リストに登録された、世界的に「顕著な普遍的な価値(OUV:Outstanding Universal Value)」をもつ遺跡、建造物群、モニュメントなどの文化遺産及び地形・地質、生態系、自然景観、生物多様性などの自然遺産などがあります。これらは国家や民族を超えて未来世代に引き継いでいくべき、人類共通のかけがえのない自然と文化の遺産です。

世界遺産登録までの流れ

新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群

  新原・奴山古墳群は、海を越えた交流に従事し沖ノ島祭祀(さいし)を担った古代豪族である宗像氏が、5世紀から6世紀にかけて築いた古墳群です。かつての入海に面した台地上に、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基からなる計41基の古墳が良好な状態で残されています。
  大型の前方後円墳(22号墳)は、沖ノ島で岩陰祭祀が始まった5世紀後半に造られた古墳です。中型の前方後円墳(1号墳・12号墳・24号墳・30号墳)は6世紀前半〜中頃に築かれました。台地の縁辺部に築かれた小型の円墳群(34〜43号墳)は6世紀後半のものです。宗像地域でも数少ない方墳である7号墳からは、沖ノ島祭祀遺跡の出土品と共通した鉄斧(てっぴ)が出土しています。
  この台地上からは、大島、さらに沖ノ島・朝鮮半島へと続く海を一望することができます。
新原・奴山古墳群は、沖ノ島に対する信仰を支える宗像氏の存在を証明します。
西谷先生

  「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は独自の信仰や伝統を示しています。新原・奴山古墳群が含まれる津屋崎古墳群の1基からは、沖ノ島で発掘されたものと同種の鏡が出土しています。また、海を望む地形に造られた古墳群は宗像氏の墳墓と考えられ、宗像氏の存在を示す重要な証拠として位置づけられるものです。

西谷正先生
九州大学名誉教授、国指定史跡津屋崎古墳群整備指導委員会委員長

1号墳

  5世紀中頃に築造された全長50mの前方後円墳です。道路建設に伴い発掘調査が行われた後、前方部は削られました。石室から鉄製木工具や鉄製の冑(かぶと)や甲(よろい)といった武具に加えて、鉄鉗(かなはし)や鏨(たがね)といった鍛冶具(かじぐ)が出土しました。宗像氏が沖ノ島祭祀を担っただけではなく、当時のハイテク技術であった鉄器生産にも関わっていたことを示す一品の可能性もあります。

7号墳

  5世紀前半に築造された、宗像地域には珍しい方墳です。墳丘上に玉砂利が敷かれ、コハク原石や、沖ノ島と共通する鉄斧が表採されています。

12号墳

  6世紀前半に築造された全長43mの前方後円墳です。古墳の周囲に幅5m程の平坦部があり、基壇と考えられます。

21号墳

  5世紀前半に築造された直径17mの円墳です。22号墳の周溝がこの古墳を避けていることから、それ以前に造られた勝浦の小首長の古墳と考えられます。宗像一円を支配していた宗像氏も地元の首長には遠慮していたとすれば興味深いです。古墳の上に立っている8基の石柱は、築造から800年後の鎌倉時代に造られた供養塔です。地元ではこれが単なる小山ではなく墓だと知っていて、そこを墓所としたと考えられます。

22号墳

  全長80mの帆立貝式(ほたてがいしき)古墳です。5世紀前半に築造され、新原・奴山古墳群の中でも最も古く、巨大な古墳です。周囲には幅10m程の周溝が巡っています。

30号墳

  6世紀中頃に築造された全長54mの前方後円墳です。全体として保存状態が良い古墳で、周溝がある可能性もあります。現在も前方後円墳としての形をよく見ることができます。

34〜43号墳

  これらの円墳は直径15m以下の小古墳で6世紀に造られたと考えられます。細長い尾根上に一列に並ぶように造られていて、他の古墳とは立地も規模も異なります。被葬者は、宗像氏の家来達の古墳だと考えられます。



「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群について

  「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、「神宿る島」として信仰の対象である沖ノ島(宗像大社沖津宮(おきつみや))、沖ノ島を起源とする信仰の場である宗像大社中津宮(なかつみや)、宗像大社辺津宮(へつみや)、古代の沖ノ島祭祀を担った宗像氏の墳墓群である新原・奴山古墳群、渡島が厳しく制限されている沖ノ島を遠くから拝む沖津宮遙拝所からなります。これらの遺産が一体となって、「神宿る島」を崇拝する伝統が、古代から今日まで発展し継承されてきたことを物語ります。


沖ノ島(宗像大社沖津宮)

 

  九州本土から約60 kmの玄界灘に浮かぶ東西1km、南北約0.5 km、周囲約4 kmの絶海の孤島です。
  4世紀後半から約500年間にわたり、ヤマト王権による国家的な祭祀が行われたことを示す遺跡があります。この遺跡からは「海の正倉院」と称されるにふさわしい国宝に指定されている約8万点の遺物が出土しています。祭祀遺跡に鎮座する沖津宮は、宗像大社を構成する三宮の一つです。宗像三女神の一柱である田心姫神(たごりひめノかみ)が祀られています。


沖津宮遙拝所

  沖津宮遙拝所は、島そのものが御神体であり厳格な禁忌によって通常島へ渡ることが禁止されている沖ノ島を、遥拝(遥か遠くから拝むこと)する場所です。晴れて空気の澄み切った日には、ここからはっきりと沖ノ島を望むことができます。

 

宗像大社中津宮

 

  中津宮は沖津宮・辺津宮とともに宗像大社の三宮の一つです。宗像三女神の一柱である湍津姫神(たぎつひめノかみ)が祀られています。大島で最も高い御嶽山(224m)の山頂では、沖ノ島と同じ祭祀が7〜9世紀にかけて行われていました。現在、その場所に御嶽神社が建っていて、参道で中津宮と結ばれています。


宗像大社辺津宮

  辺津宮は、宗像大社を構成する三宮の一つです。宗像三女神の一柱である市杵島姫神(いちきしまひめノかみ)が祀られています。現在、本殿は天正6(1578)年に大宮司宗像氏貞に、拝殿は天正18(1590)年に小早川隆景によって再建されたもので、ともに国の重要文化財に指定されています。

 

関連リンク

 世界遺産推進会議(外部リンク)
問い合わせ
福間庁舎/総務部 世界遺産登録推進室  電話:0940-43-8134  FAX:0940-43-3168