津屋崎古墳群の見どころ
勝浦峯ノ畑古墳(かつうらみねのはたこふん)
勝浦井ノ浦古墳とともに勝浦古墳群を構成する、5世紀中頃に造られた全長100mの前方後円墳で、後円部中央に横穴式石室があります。石室の中央には2本の石柱が立ち天井を支えています。
このように石室内に石柱を持つ古墳は、国内には他にありません。朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)の古墳に類例があり、海を介して宗像地域と高句麗の文化交流があったことをうかがうことができます。
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
5世紀から6世紀にかけて造られた古墳群で、津屋崎古墳群の中で最も古墳が集中しており、東西約800mの台地上に前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基の古墳を見学することができます。
新原・奴山古墳群に葬られたのは、沖ノ島祭祀で重要な役割を担った宗像氏であると考えられています。
現代に続く沖ノ島信仰の伝統を築いた古代氏族の存在を示す物証であるという価値が認められ、平成29年(2017年)7月に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
新原・奴山古墳群パンフレット (PDFファイル: 5.7MB)
須多田古墳群(すだたこふんぐん)
新原・奴山古墳群の南西約2kmに位置する古墳群で、前方後円墳4基と円墳1基から構成されます。
須多田ニタ塚古墳(すだたにたつかこふん)は、5世紀中頃に造られ、須多田古墳群の中で最も低所に位置する直径33.5mの円墳です。周囲は幅4mの周溝と馬蹄型の溝がめぐっており、主体部は石材に赤色顔料を塗布した横穴式石室です。
須多田ミソ塚古墳(すだたみそつかこふん)は、推定復元長67mの前方後円墳です。
須多田下ノ口古墳(すだたしものくちこふん)は、前方部が削平されていますが、推定復元長82.8mの前方後円墳で、6世紀後半の時期に位置付けられます。
須多田天降天神社古墳(すだたあまふりじんじゃこふん)は、全長80mの前方後円墳で、座った人物をかたどった埴輪や大型の器台が見つかっています。
宮地嶽古墳(みやじだけこふん)
宮地嶽古墳は、宮地嶽神社の奥の院「不動神社」の神殿となっており、7世紀前半から中頃に造られた円墳です。内部には、国内で2番目の長さとなる全長23mの横穴式石室があります。
被葬者は、天武天皇の第一皇子である高市皇子(たけちのみこ)を産んだ尼子娘(あまこいらつめ)の父である、胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)とする説もあります。
副葬品は、金銅製の馬具、金銅製の冠、金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちのたち)、蓋付銅碗、銅盤、緑瑠璃丸玉(みどりるりまるだま)、長方形緑瑠璃板があります。緑瑠璃は鉛ガラスの事です。
金銅装頭椎大刀は、刀の柄の頭と鍔(つば)など部分的にしか残っていませんが、復元すると長さ2.4mの巨大なものであり、実用品ではなく儀式などで使用されたと考えられています。
これらの副葬品は、唐草文などの装飾が施された国際色豊かな大変豪華なものです。国宝に指定されており、九州国立博物館に展示されています。
手光波切不動古墳(てびかなみきりふどうこふん)
手光波切不動古墳は、津屋崎古墳群の最南端に位置しており、7世紀前半に造られました。石室の長さは10.8mと宮地嶽古墳より小型ですが構造が類似しており、一辺が2~4m程度ある巨大な板状の玄武岩を用いて石室を造っています。
江戸時代の地誌には、石室が開いていて不動尊を安置したことなどが記されています。これまで出土品は全くありませんでしたが、最近の発掘調査で金銅製馬具や新羅土器、沖ノ島祭祀との繋がりをうかがわせる須恵器などが発見されました。
このページの作成部署
- より良いホームページにするために皆さんのご意見をお聞かせください
-
更新日:2024年02月01日